伊藤熹朔賞と発足の経緯

昭和48年3月31日 日本舞台テレビ美術家協会が「熹朔の会」より伊藤熹朔賞の運営を引き継いだ。
伊藤熹朔賞が設定された経緯は、昭和43年3月30日生前特に先生と親しかった方々の集まりの席上、この際永く伊藤熹朔を偲び、その業績を発展させるために、「熹朔の会」と言う会を作り、この会の事業として伊藤熹朔賞を設定し、その運営をしようとの案が出され、全員の賛成で即日発足した。
この会のメンバーは、代表大仏次郎、沢村三木男、中野実、岩田藤七、菊田一夫、永山雅啓、柴田小三郎、大江良太郎、林彦三郎、阿木翁助、倉林誠一郎であった。
賞の基本的性格は、舞台美術デザイナーだけでなく照明も含めた舞台美術に功績のあった人達を探し出して贈ることにあった。
内容は本賞として、岩田藤七氏の作品と賞状、副賞として金10万円。授賞日は熹朔の命日の3月31日とした。

「熹朔の会」は6回の授賞を行ったのち、日本舞台テレビ美術家協会の事業として引き継ぐ案が出て日本舞台テレビ美術家協会に移譲された。
(以上は「日本舞台テレビ美術家協会創立30周年記念」記念誌、北川勇氏の記事より抜粋要約)
それ以降、 1973年を第1回と数え1998年の第26回まで日本舞台テレビ美術家協会が舞台とテレビの両部門を顕彰した。
1999年の第27回からは、テレビ部と舞台部が分離独立し、各々新しい組織を設立した結果、日本テレビ美術家協会と日本舞台美術家協会として各々独自に顕彰している。
<テレビ日本美術家協会の伊藤熹朔賞に関する定義>
 1)以下の賞を設ける。
  <本賞>1点・<協会賞>数点・<特別賞>1点
 2)本賞は、その年度において最も優秀と思われる作品に与えられる。
 3)協会賞は、本賞の選考も参考にして、幅広いジャンルの作品や外部の者も対象に、
  理事会で数点選考し与えられる。
 4) 特別賞は、テレビ美術に顕著な功績のあった人に与えられる。
 (特定非営利活動法人 日本テレビ美術家協会 伊藤熹朔賞運営規定より抜粋)